いぬころびとのざれごと

犬ころのごとく生きる男が弄り徘徊しながら発する言葉。

おかんの毛

「おかんの毛」、もとい「五観の偈(ごかんのげ)」。

これは、私が食事の前に心の中で唱えていることばです(しばしば忘れますが)。

禅宗の修行僧が食事のときに唱えるものだそうな。

 

「五観の偈」

一つには功の多少を計り彼(か)の来処を量る。

 目の前の食事に費やされた手間はどれほどか、どこからどのようにして出来上がってきたのかを深く考えます。

二つには己が徳行の全欠を忖(はか)って供に応ず。

 正しい生き方が、私にどれだけできていたかを見つめなおし、反省してこの食事をいただきます。

三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

 執着する心をなくし、自己中心的な行いから離れること、それにはまず、際限のない「貪りの心」に十分注意いたします。

四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。

 ただ空腹を満たすということではなく、飢えや渇きという根源的な病を治し、身を保ち心を養う良き薬としてこの食事をいただきます。

五には成道の為の故に今此の食を受く。

 み仏の教えに目覚めて生きるために、いまこの食事をいただきます。

                 『座禅作法・食事書作法』(曹洞宗テキスト)から

 

「信心」ということから程遠い私ですが、これだけはなぜか誦じております。

 

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 今朝は久しぶりに「納豆茶漬け」で、 いただきまあす!