いぬころびとのざれごと

犬ころのごとく生きる男が弄り徘徊しながら発する言葉。

曇天をみながら

ここ数日、ずっと雨が降り続き、河川の氾濫など、災害の危険が続いている。「いつまで降り続くのだろうか」と思っていたが、未明から雨が上がっている。が、当分は心配な状況がつづくだろう。

どこかのテレビドラマの中で言っていたが、「雨、風、光などは、自然がバランスをとっている」のだと。だとしたら、この長雨も、自然が何かしらのバランスを保とうとして生じている事になる。であれば、人間は、身の安全など自分のできることをして、自然がバランスを回復するまでじっと耐えているしかないのかもしれない。自然と対峙しそれを克服しようとすること自体に誤りがあるようだ。コロナにしても然り。そう思うと、鬱々とおもい気持ちも少しは軽くなってくる。

また、昨今の異常気象に対して「人間が好き勝手なことをするから、天が怒っているのだ」という人がいる。私はその言い方に違和感を感じてしまう。自然などを擬人化し、余剰に「いみ」を付け加えてしまうことに対しての「違和感」である。自然はバランスをとっているだけなのだから。

人間の営みは、明るくなったら目を覚まし、ひもじい思いをしないように何かを作り、食べて、暗くなったら眠る、といった繰り返しであり、そこに何かの「いみ」があるわけでもない。でも、何か「いみ」を求めてしまうのが、人間のちょっと厄介なところなのだろう。

自分のことを顧みても、同様なことが言える。自分から無理に何かを始めようとしたことは、大抵うまく行かない。タイミングの問題もあるが、やはりそのタイミングにしても自分だけで決まることではない。自分のまわりとの関係の中で生まれるものであって、そこには「水が高いところから低いところに流れる」ような「自然の流れ」がある。そして、それにできるだけ身を任せることが、私にはいいようだ。

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