いぬころびとのざれごと

犬ころのごとく生きる男が弄り徘徊しながら発する言葉。

「グレる」について、自堕落に考察する

わたしは、世間からみればそんなに「グレて」はいないように見えるかもしれない。

が、こころの中では相当に「グレまくって」いる。そんなことを書いても、「勝手にグレてろや!」と言われるまでだが、しょうもないことを書きたいのだから困ったものである。やはりそれも「グレてる私の中身」がそうさせているのだろう。

 

さて、「グレる」と言えば、音楽のジャズのことをすぐに思い浮かべてしまう。「いや、グレてると言やあ、そりゃやっぱロック、しかもヘビメタやパンクかなんかだろう?」と言われそうだが、「グレてる」音楽は、私の中ではやはり「ジャズ」である。急にテンションコードなんかが入ったり、リズムが揺れ・ズレしたり、音がモゲたりしたら、「あっ、今ちょっとグレやがったな、ウヒヒ・・」とひとりニンマリしてしまう。そうだ、クラシックも優雅に隠微に「グレて」いる。絵もそうだ。抽象画なんかはフリージャズのようだ。印象派もヘンテコリンに鬱屈して「グレて」いる。不条理演劇の「グレまくり」ぶりも、堪らない。なんと私は「グレてる」ものがこんなにも好きなんだろうか!「グレてる」様、万歳!!万歳!!

 

と、ここまで馬鹿なことを書いてきて、ふと気づいたのだが、「ぐれる」という言葉を「グレる」というふうに無意識にカタカナで書いている。そのほかの言葉も結構カタカナを多用している。。

ということは、カタカナ語というのは、ある意味「グレてる」言葉なのか?真偽のほどはわからないが、私にはそうなのかもしれない。。。

f:id:inukotobito:20220205161339j:plain