いぬころびとのざれごと

犬ころのごとく生きる男が弄り徘徊しながら発する言葉。

「絵を描く」ということについて

 
昨年くらいから妻の絵を描いている。といっても、私の絵は、「いたずら描き」のような自堕落な絵である。「絵」と言えるかどうかも怪しい。
で、この妻とはもう40年以上前に知り合って、とりあえず一緒にいる。そして、なんやかんやと「ちまちま」と妻のことを描いている。傍からは「いい年こいて惚気てやがる、あははは」なんて思われ


ているかもしれない。でも、いいのである。「人からどう思われようが、そんなに人の迷惑にならない限りにおいては、気にせずに生きた方がずうっっと生きやすい」ということが分かっているし、人はそんなに自分のことを見ていないのである。私も見ていないが。。。
 そして、やっとここで本題に入るのだが、こうやって妻の顔を描いていて、はたと気付いた。「へええ、こんなにいろんな表情をしてたんだ・・・」と。もう数年もすれば半世紀近くも一緒にいる人なのに、ぜんぜん気づいていなかった、いや「見ていなかった」ということが分かって唖然とする。とにかく、さまざま表情や仕草をしているのである。そして、それを目の当たりすると、また「描きたく」なる。一種の病気である。それとは少し違う感じだが、植物なども描いてると、「はあ、葉っぱってこんなになってんだあ!」っていう気になる。牧野万太郎に近い状態になっているのである。
ということで、「何かを描く」ということは、「違ったものが見えてくる」、いわば、「今までの自分から、また別の自分になれる」ことなのではないか、と梅雨空を眺めながら思ふのでふ。。